2015-04-16

ブログをあまり書いていない理由

最近全然書いてませんね。色々書きたいのですが、なかなか書けないでいます。何ででしょうね。

先日とある人と話をしたときに、その人が「インターネットは変わってしまった。もっと閉じた世界で、気軽に何でも書ける、あるいは、書いてある場所だったのに」と言うようなことをおっしゃっていました。他の人でも「昔は実名で日記が書けたけど、今は怖くなってしまったな」と言うのも聞いたことがあります。

それを聞いて私は共感するとともに、それだけではないかなぁという気もするのです。

確かにインターネットは誰でも使うものになりました。誰が見ているかわかったものではありません。うかつなことを書こうものなら、それが馬鹿発見器によって拡散される。そんなことが日常的に起きている世界でもあります。実際この私も、誰が見てるか分からないしなあ、あの人に見られてしまうかなあ、これがばれるとまずいなあ、などと考えると、書くのを控えてしまいます。SNSなどはそういう意味では良いですよね。共有範囲を適切に絞れば、だいぶ書きやすくなります。

世界が変わった。確かにそうですが、書きにくくなったのはそればかりではないでしょう。

私はその話を聞きながら、老いというものを感じました。

昔は良かった的な老い。すでにやったことがあることに対する飽き。情熱の低下。

おそらく若い人はこんな世界でも抵抗なく色々書けると思うんですよね。それは視野が狭いからかもしれない。知識や経験が少ないからかもしれない。私たちだってたいした経験や知識があるわけではないくせに。実際トラブルになる例はありますが、全体から見たらごく一部でしょうに。

多くはたいした反応も得られず、または、得られたとしても一過性のもので飽きてしまうといったところでしょうか。書いても何も起きなければ、書けば書くほど寂しくなっていきますからね。何の影響も期待しないのであればリスクを負ってまで公開する意味はありませんからね。その点やっぱりSNSはよく出来てるなと。いいね!、+1、リツイート、おきにいり、手軽に反応を返せるようになっている。ちょっと簡単すぎる気はしますが。リアルで会ったときに、あの投稿見たよ……とか、そういうのでも良いと思うのですけどね。

などと当たり障りのない一般的なことを書いてみました。

マクドナルドでAndroidのWordpressアプリから書いてます。PCのEmacs上から書くのが面倒というのも少しはあるのでしょうね。まとまった文書を書くならPCの方が良いですが、こういった気軽な文の場合は特に。

こんな文でも書くのに意外と時間がかかるものです。そこまでして書きたいと思えなくなってきているというのも大きいのでしょうね。