ピアノのイントロが綺麗で好き。いや、イントロ以外もそこそこ好きですが。フルバージョンだとちょっと変わっちゃってるのね。
ピアノのイントロが綺麗で好き。いや、イントロ以外もそこそこ好きですが。フルバージョンだとちょっと変わっちゃってるのね。
自分が望む本当にやりたい何かをやる上で我慢が大切だなと思うのです。
なんでもかんでも我慢しろと言いたいわけではありません。自分の心の奥底から聞こえる「やりたい」という声を良く聞いて、それを邪魔している他の障害となる(我慢できる程度の)些細なことを我慢するのです。心の奥底から「やりたくない!」という声が強く聞こえるならば、我慢する必要など無く、やらなくて良いと思います。
今我慢すれば後でより大きな楽しみが待っている、だから我慢しなさい、とも言うつもりはありません。後で大きな楽しみが待っている保証なんて、たいていはどこにもありません。そんなあるかどうか分からない見返りを期待して我慢するなんて危険です。それに、その見返りが期待できないと分かったら我慢をやめてしまいます。それでは「やりたい」という根源的な欲求を満たしてやることが出来ません。楽しみなんてものは時々訪れるおまけみたいなものくらいに思った方が無難です。
大切なのは心からやりたいことかどうか、です。心からと言うのは理性からでは無いと言う意味です。
私は実現できずにいる沢山の「やりたい」事を抱えていますが、多少我慢を意識的にすることでいくつかは前進しそうです。
古い書類を取り込んで処分中。なんというか、すごく切ない。すごく切なくて泣きたくなるくらい。
でも、忘れていたやり残してたことを思い出した。
ああ、何年ぶりだろう。狭いキッチンの中央が空いた。中央で常時開きっぱなしだった折りたたみ机は処分の方向で。
折りたたみ机は構造上机の下にものが置けないのが欠点。常時開きっぱなしにするのならば、普通の四つ足の机の方が収納力が高いのだ。
四つ足の机に変えるだけでも多少スペースは空くのだが、今回はそこから一歩踏み込んで、壁際に積んである段ボール箱に着目。二~三段重ねの段ボール箱の上が空いている。なので、その段ボール箱に覆い被さるように机兼棚をメタルラックで構築。全体の寸法は高さ180cm、幅91cm、奥行き45cm。各棚板の高さが一段目91cm、二段目140cm、三段目180cm。一段目より下は段ボールを自由に積めるようあえて板をはめ込まなかった。やや不安定になるが仕方あるまい。一段目は今まであった机の代わり。二段目、三段目にはいままで机の下に入れようとしてはみ出ていたものを収納。これでキッチンがずいぶんすっきりした。
グッジョブ俺。
ScanSnap S1500導入。すごい。昔フラットベッドスキャナで漫画雑誌を延々と取り込んだことがあるのだけど、なんというか……俺の青春を返せ!! って感じ?
なんか得した気分。
Skiff Readerには注目していたのだけど、一年以上経って結局これどうなったのよ。
KindleとかSonyのReaderとかなんて、もう見ただけで触りたくない。何この額縁。何この厚さ。額縁で写真を見る人はいても本を読む人はいないでしょ。こんなのを許可する経営者の頭がどうかしてるんじゃないの? 厚さはまだいいよ。分厚い本はいくらでもあるんだし(重いのは嫌だけど)。でも額縁はやめて。
「電子書籍端末」とか「リーダー」とか言っている時点でもうダメなんだろうね。求めているのは「紙」なわけよ。電子化された「紙」。せめてクリップボードくらいの感覚にしてくれなくちゃ。
電子ペーパー部分と書き換えユニットを分離するというのもよさそうかなと思う。本当にクリップボードと紙みたいに。
今年こそ、このあたりが解決されたらいいのになぁ。
部屋の不要品処分を継続的に実行中ですが、そろそろ限界が見えてきました。これ以上は書籍・雑誌の電子化が不可避でしょう。
お、なんか放浪息子が面白くなってきたかな? 変な劇の脚本を書き始めてから。でも、今までテキトーに見ていたせいで名前と顔がよく分からない。というか、たぶんちゃんと見ても分かりづらいんだろうな。
言語周りを大改造したい。この作業をやっていると本当にそう思う。
毎度毎度、自分の作った糞言語上でのプログラミングは苦痛だ。しかし、耐えられないほどの苦痛ではないというのが問題だ。大改造するのだって苦痛が伴うのだ。どちらが大きいかという話になる。言語の修正は影響範囲が大きい。様々なツール・資産に影響が波及する。
結局のところ大改造ではなく、漸進的な改造でじりじりと進むしかないのだろう。
そういった諸々の懸念を忘れてどうしたいかと問われれば、シンプルにしたいという一言に尽きる。できるかどうかはともかく。