『男性ゲーマー中心の米ゲーム市場、女性へのアピール策は』(CNET)の記事を読んで何となく連想したこと。
私はアニメが好きだし、アニメから多くのことを学んだと思っている。
でもビデオゲームから多くのことを学んだとはあまり思わない。
それはアニメに比べればたいしてビデオゲームをしていないというのもあるのだけど、それ以上に私がやった特定ジャンルのビデオゲームの性質に寄るところが大きいのではないかと思う。
囲碁というゲームから学ぶことは多い。その教訓は人生に通じると思わせることもある。だからか囲碁は知的ゲームとして古くから生き残ってきているし、今なお老若男女問わず愛されている。特に大人がやっても馬鹿にされにくいゲーム、むしろ年配向けのゲームと認識されている点は興味深い。
ところで「知的ゲーム」という表現もかなり変な表現だと思う。どんなゲームだってある程度の知性は要求される。アクションゲームのように脳の古くからある原始的な部分をより多く使うのではなく、主に大脳新皮質のような新しい部分を使うゲームということなのだろうか。
小説や映画は大衆の娯楽として定着しているけれど、これもそのストーリーから教訓を感じることはよくある。
こうして他の娯楽と比較してみると、私がビデオゲームから学んだことは何だろうか。効率よく敵を倒す方法とか? 確かに単純作業を反復練習して、効率的にさばく能力はある程度鍛えられているかもしれない。力こそ全て! 連射すれば道は開かれる!? いや、世の中そんなに単純じゃないし。お金は無駄遣いせずに貯めておいて必要な時にグレードの高いものを買いましょう、とか? それはあるかもしれない。
それで冒頭の記事なのだけど、女性に限らず大人からビデオゲームが子供の遊びとして軽んじられないようにするには、もっと高次の何らかの教訓、何らかの得るものを感じさせないとつらいかもしれない。
この辺りは、この間読んだ「おもしろい」のゲームデザインに通じるところがある。
ところでスポーツ観戦から学ぶ事って何かありますか?